最近のネット、ハッピハッピ理論について


Blogさえ、書いとけば、
「白馬に乗った王子様」が、迎えにきてくれるに違いない的な、
ネットの楽観論が
はびこってます。


ネットによって、登竜門の入り口が、たくさんひらけたってのは、合意。
ただし、
機会平等と、引く手数多は、別物なのです。


Blogを掲げておけばいい。
という短絡的なものではなく、
登竜門の入り口が増えただけであって、
オーディションで言うと、
「デブ」だからアイドル募集のオーディションに書類審査で落ち続けてきた
「ブス」が、ネットによって、急激に
審査を通過するミラクルが起こるってことは、決してあり得ないこと。


優秀な人に「お願いします」が、殺到するだけな話であって、
blogを掲げていても、「ゴメンナサイ」が殺到する、すなわち、引く手がない状態であることには、変化がないです。


結局は、その人の能力によるということになるを言う事を、ちゃんと
語ってほしいのです。


でないと、短絡的な「ネット、ハッピハッピ理論」は、
本当にやらないといけないことを、なおざりにして、
blogをたくさん制作する
いわゆる
「がんばるバカ」をたくさん、生んでしまうのです。


がんばるバカほど、
うざったいものはないのです。


エアロビクスで、リズムずれているのに、
真ん中の千頭に立って、
全体のクラスのリズムをむちゃくちゃにしてしまう人は、
ネットになろうと、今後、どんな革命ツールが
生まれようと、ウザい存在であり続けるわけです。


登竜門のわかりやすい例を示します。

すごい美人である「吉永小百合」は、他校、他町、他県、他国から、会いにくる人が、いたという歴史。


ネットというすばらしいインフラが、庶民に届いた時代に来ようと、
人々の価値基準は、何も変化しては、いない。



1000年後は、知りませんよ。
また、縄文式時代みたいに、日本も、
「デブ」がもてはやされるのかも知れないから。


でも、それも勘違いされちゃ困るのは、
決して「デブ」がもてはやされたんじゃなくって、
サバイバル時代だったから、
安産型の体型、「子孫をしっかり残せる母」が
もてはやされただけなんですけどね。
動物学的に。



「ウェブ時代をゆく」欲しい!

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)