多様性に非対応ということ ガラパゴス


多様性に非対応ということ ガラパゴス


障害者を見て、
「家族の怨念」とか、
「前世の悪事の結果」とか、
なんか、ほざけたこと言うばばぁとかいるみたいですが、
そういうのを耳にするたび、
四国のど田舎で、黒人を始めて見たおばあちゃんが、
「にぃちゃん、風呂は入りなさい」といって、35円くれた。って話を思い出しますね。


そのばばぁの、頭の中。


黒い→汚れている。
臭い→風呂に何日も入っていない。
臭いのに平気→乞食→風呂代をあげれば、風呂にはいれる→やさしさ。


うちの父親は、
障害者のマネを祖父の前で、笑いながらして、
「ああ成りたいんやったら、俺がしちゃろ!」
と言って、村中、夜中じゅう、鎌を持って、追いかけ回されたらしいです。


小さい子は、認識マップが狭いので、
近くにいる教育者である大人が、多様性を教育する立場にあるわけだが、
その教育者が、
自分の認識マップが、非常にせますぎて、
その上、
想像力が欠けていて、
(ど田舎の人間は、そうなりますね。あと、ずっと東京に住んでる人も同様)
多様性が、まったくない。みたいな小さいマップのなかを
全世界だと認識する人達ですね。


会社組織でも、同様のことが起こるわけです。
新人教育は、まったく、社会的には、この子育てと同じなので。


そういう人間群は、
頭脳がガラパゴスなので、
比較的そういう人間だらけの会社とかに入って20年近くもいると、
もう、
鳩山クラスのぼけぼけになってたりします。


なのに、自分の多様性に対する非対応さに、まったく、気付かないわけで。


あ、努力しない人間は、
多様性の中に参加する資格ないです。wwwww



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