付加価値のあるコモディティ

コモディティに成ってはいけないという提言について。



それは、
20年ほど前議論された、
ハードウエア、設計、CADエンジニアの
デジタル化の波における、
エンジニアに言われていたことでした。


「アナログ」のわからない人間は、
結局、
「チェンジニア」


ハードシステムのトラブルなどが起こった時に、
半導体
入れ替えて
解決したと思ってしまう人間。


つまり、ブラックボックス
チェンジしてしまうことに置いて、
効率的なエンジニアのことです。


そういう
「チェンジニア」は、
結局、
テクノロジーやツールをこなせる
年齢の若い、
「チェンジニア」が、大量排出された瞬間に、
価値が暴落するであろうという議論でした。


川柳で言えば、
「気がつけば、自分自身が、チェンジニア」



実際、
音楽の楽器のシンセサイザー
同じことが起こりました。


一斉を風靡したデジタルの波に置いて、
アナログのエンジニアは、「まぬけ」扱いされました。


「まぬけ」扱いされた、アナログエンジニア達は、
横河電気などの、微細な職人を求めている会社に
転職して行きました。


しかし、ここ7年くらいは、
CPUの性能も上がり、
アナログシンセサイザーシミュレータの市場が
立ち上がりました。


誰が演奏しても、「小室」になってしまう楽器に、
市場が、うんざりしたからです。


自分の才能が、
一時的に、斜陽になったからと言って、
また、学び直しみたいな考えでいたら、
かなりやばいことになります。


空いている高速道路を
何度も、乗り継げる人、
ひきかえせる人は、
財力、勇気、まわりのサポート力、等々、
恵まれている人だけなのです。


そんな大事なことを、
適当に
一冊の本を読んだくらいで、
決めてしまっていいのかと思うわけで。


私の仕事の分野でも、
企画書を、webで検索したものの
詰め合わせ、
「幕の内弁当」みたいな
安い企画で、悦に入っている人とかも
いますが。



それは、
プランナーではなく、
プラナリア」です。


そういう切れ目で、自分が、
特殊な技能の持ち主に慣れるのか?(基本、3%くらいの人口分布です)


それとも、
コモディディになるのか?


コモディティになるな。と言われてますが、


私は、
世の中のほとんどの人が、コモディティだと思いますし、
そうならざるを得ないです。


組織で働く限り、常識は必要だし、
基本性能は、要求されます。


人前になると、妙な汗が出て、頭が働かなくなるエンジニアとか、
目の前の、暫定対策しかできないエンンジニアは、
いらないのです。


なので、それ以上のコモディティである必要があり、しかも、
ある程度の、コモディティ性は、必要なのです。


それは、標準性とも言うべきこと。



ですから、こうrephraseすべきです。



Be compatible, but not replaceable.

世の中の標準は、ちゃんと学びなさいと。

その上の付加価値で、
その辺の人に、すぐ、取り替えられない部品になればいいのです。