どこかで、誰かが、見ていてくれる

仕事をしていて充実を感じるのは、
どこかで、誰かが
見ていてくれること。



直接の当事者とか利害関係者は、
すこし
食い違ったり、優先順位で
争ったりしてて、
もめたり、シコリを残したりする。


でも、
全体を俯瞰的に見てる人が、
「全体的には、おまえは、すごいぞ。俺は評価するからな」
って一言
言ってくれるだけで、ものすごく、
自分のやっていた
「使命感」的、くだらない仕事の塊が、
なんか、ダイヤモンドとして
輝く
魔法。


私が、
最初に入った会社の5月頃、
急に納期の厳しい顧客のオーダーが
入った。


私と、同期入社の新人2人組で、
その無理なプロジェクトのリーダとなり、
そのワープロ製造業の顧客のために、
EPROMのプログラム作業、ライターにセットして、
やきつける作業(単純作業)を
新しく作業者を雇うことなく、
同じ部署のおおぜいの人数の
少しずつの時間を、いただいて、
プログラム作業をコーディネートする作業をすることになった。

2人で、
遅くまで残って、
納期遅延をしないように、
手伝ってくれる人の時間割を
用意周到に作ったにもかかわらず、
通常の作業に優先順位がある人も
あったりで、
手伝いの工数は、
予定から
どんどん、外れていき、
コーディネートした二人が
そのプログラム作業を
負担せざるを得なくなった。


なぜか、わからないのだが、
通常プログラムの作業をしている人は、
定時で、帰宅してしまう。
その人が、やったほうが、明らかに効率がいいので、
おがみ倒しても、
定時で帰宅してしまう。


その分も結局、2人で、作業することになってしまう。


そうなってくると
2人の
通常作業は、
まったくストップし、
そういう状態を逐次
報告しても、
ちゃんと取り合ってくれない状態で、
2人は、通常の作業が遂行できず、
周りの人が、それを補うことを強いられた。

しかも、なんだけわからないが、
その新たな作業が、発生していることを
評価できない人間からは、仕事をやってないとか
悪の評価が、下りはじめる。


そのため、周りの人が
クレームをつけはじめ、
係長クラスの人が、
クレームをつけはじめた。

忙しいのに、長時間、説教を聞くはめになった。


そのため、
納期に1日、ずれが生じて、
営業からは、とてつもなく、
クレームをつけられることになった。


新人の2人は、
「できないって言って、断ればよかったね」
とか、半泣きで、夜中の1時に、話した。


で、結構、しょげてたら、
部長の月次報告に、
そのプロジェクトが
大成功だった。と記述されていた。
extraordinary coordinatedと書かれていた。


新人の2人は、
なんか、
救われた。


誰かが、
自分が、使命を持ってやった、
もっと、うまくできるかもしれない人が、
「かったるい。やりたくね」って
言って避けた仕事なのに、
それを
引き受けた人間を
評価してくれる。


人の仕事の原動力とかは、
こういう
単純な
冷静に考えれば、正当な評価というか、
配慮だったりする。