新規ビジネスについて

新規ビジネスについて


境さんのブログに、コメントを打ってる最中に、思い付いたエントリーです。


iPadを巡って、出版社が、最後のチャンスとばかりに、
躍起になっては、いるものの、あり得ないくらい、空回りしている状況が、
ここまで、末期的であることを、しりました。


紙オンリーの時代に、大手だった出版社は、マネジメントのみならず、
若手まで、どうやったらいいのかが、わからないらしく、
ま、わかってる人は、スピンアップしちゃったので、
居残り組は、いまだ、津田さんとか、向谷さんとか、
糸井さんとか、平野さんとかに、どうしたら、いいんですか?とか、質問してる。
ちゃんと、うらで、すごいことやってる人は、いるのかも、しれんが、見えてこない。


こういう難儀を、乗り越えた企業は、
自分達が、過去にやったこと。
自分たちの過去のユーザが、望んでいたこと。
自分達の、過去のユーザ分析。
自分たちから離れていったユーザ分析。
自分達の、今できること。
自分達のこれからのユーザに、できること。
自分たちのこれからのユーザが、望んでいること。
自分達のこれからのユーザ分析
自分達が、やりたいこと。(これ大事)


が、きっちりと、描けていて、整理されている。


新しい環境や、新しいアイデア、新しいアライアンスを、
上記の整理された図の中に、マトリックスで、プロットしていけば、いい。


でも、乗り越えられない企業は、プロットする枠組みがないので、
プロットが、うまくできないので、
過去問を、何度も問いてさえいれば、
きっと、また試験に、受かってしまうような、錯角をなんどもみる。


そして、新しい基軸を提案する人間を、非難し、最悪いじめる。
提案した人間は、のけものにされ、たいてい、くびになるか、退社する。



実際、前職では、新規事業の立ち上げ要員(名ばかり責任者)として働いていたが、
古いサービスが創業者社長企画のため、
なんども、なんども、今のサービスのほうが、いいよ。って、ことで、
新しい企画が没になり、私を含め、4人くらいの人が犠牲になった、
私のサービス企画は、今でも、みながきっと欲しがるようなもので、
特許を関連会社とともに、取得してもらうことだけは、願いが
かなった。


特許申請した瞬間にクビ。

たぶん、自分が企画しても、実現できると思ったのでしょう。

さいごの、セリフが、
「おまえの言ってることは、サッパリ、わからない。
俺の企画した写真館のほうがいいし、お前の企画は、今の
ユーザに失礼な企画だ」
でした。

そんで、もって、特許取得だけして、
未だに実現してないし。
どうすんだろ、あの特許。



その特許は、これ。
http://www.j-tokkyo.com/2007/G06T/JP2007-241548.shtml

サービス内容は、
「タイムスリップ」
古い紙焼き写真を、デジタイズするしくみとともに、
地図上に、時系列で、みんなでよってたかって、
正確に置いて行くという巨大写真アーカイブシステム。


写真というのは、空間の場所的、時間的な、固定だから、
元の位置、元の時間に、戻してあげるのが論理的に正しいし。
探しやすくもあり、位置情報、時間情報は、世界共通のものである。
という信念の元に、企画しました。
かっちょいい、UIも作ったんだぜーー。
あの試作、残ってんのかなぁ。


いまでも、欲しいなぁ。


iPadでやったら、これ、すごい編集しやすいなぁ。
やりたいなぁ。
ほとんどの編集がマウスだけでできるように作り上げてたから
iPadで、指一本でぐりぐりと、写真を時空間にマッピングできる
はずだなぁ。 今からでも、十分できるなぁ。Googleは、こういう
ちまちました編集ものは、大嫌いだから、絶対参入しないなぁ。
(ひとりごと)


だって、今見たいのは、
今の写真じゃなくって、
廃校になった自分達の小学校であり、
区画整理のために、なくなった公園であり、
マンションが建設前に、みよちゃんと遊んだ空き地であり、
ダムに沈んだ村であり、
昔住んでた家であり。


そんな写真の一部によって、
えん罪が解決されたり、会いたいのに、会えなかった二人が
出会えたりできる。
そんなシステムって、素敵じゃあーーーりませんか?



それが、場所と時間を指定しただけで、出てくるって
すごいと思いませんか?


ごくたまーに、「あの頃に戻りたい」って思わないですか?
タイムマシンができるまでには、相当時間がかかるので、
擬似的に、戻りたいと思いませんか?
擬似的に戻れるとしたら、
金、払いますよねー。


きっと、ミスチルの30周年の時は、
50年前の写真小僧が、じぶんの昼飯を削ってまで、
フィルムと紙焼きに、なけなしのお金を、
50年間、死ぬまでとり続けた
(きっと、奥さんにとっては、ゴミであり、敵である紙焼き写真)
富士山五号目写真をモーフィングしたビデオをPVに利用したがるし、
1999年に廃校になった小学校の校舎を、1972年を懐かしがって、
見てる人は、同級生だし。


病院にいるおばぁちゃんが、
故郷にもう一回行きたかったなぁ。ってつぶやいた時、
病室から、見せられるのは、時空間で制御された写真だけだし。


空襲で焼けた家には、写真なんか残ってないから。
でも、きっと、誰かが、紙焼きの写真を持ってる。

その価値を気づかずに、捨ててしまったりする。
早く集めにいかないと、捨てられる。


「私のおばあちゃんが、1942年頃の、沖縄のXX小学校の近所の
写真を死ぬ前にもう一度、
見たいと言っています。どなたか、持ってらっしゃいませんか?」
と叫んだ瞬間に、沖縄在住の、昔カメラ小僧で、
今がんこじじぃのおじいちゃんに、
誰かが、しかも結構、大勢で、
「写真を貸してください」と頼みに行く。
そして、そのおばあちゃんと、おじいちゃんは、幼なじみだったりする。


そして、おじいちゃんは、たくさんの写真アルバムを
ショルダーバッグにつめて上京し、
病院にお見舞いに言って、写真を見ながら、昔話を
ずっとし、

途中、時系列がぐちゃぐちゃになったりするので、
iPadで、確認しながら、また、写真を見て、
昔話を語る。


そして、おじいちゃんは、おばあちゃんの、最期をみとる。
BGMは、ビギンのなだそうそうですかね。


「古いアルバム、めくり、ありがとうって、つぶやいた♪」


そして、おじいちゃんは、おばあちゃんの家族にその写真をプレゼントする。



いろいろなコミュニケーションや感動のしくみをぜったい作れるはずだと
思ってたから。


記録と記憶が正確にリンクし、人格を取り戻せる空間。
それが、タイムスリップ。



今も思ってますよ。


えらい、横道にそれましたが。

で、結論。

出版社が、次世代に残る、唯一の方法ね。

出版社にニューメディアの企画を出したけど、
経営が、没にしたんだけど、
退社した後、別メディアで成功した人を、
もう一回、会社に雇い入れなさい。
そして、その人を退社に追い込んだマネージメントと
別ラインで、新事業をしなさい。


日本人って、けつの穴が小さいから、これができないんだよなぁ。




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