自分の能力の限界の設定は、自分でしてんだよ


自分の能力の限界の設定は、自分でしてんだよ


先生が
逆上がりができないのに、負けよしみを語ってるって話になって、
小さい頃の運動の得意、不得意の話になった。

で、あんたは、
運動はできたの?って話になった。


中学3年生までは、まったくだめで。
あることをきっかけに、いろいろとできるようになったのを
思い出した。


通常の中学校は、
体育の授業は、教室でのテストと、実技のテストを配分して
成績をつけていく。


当然のことながら、ガリ勉のわしは、
その件以前だと、
教室のテストがほぼ満点なんだけど、実技は、なんか、下の中くらい。


で、体育の成績は、いつも5段階で4になってて、どうでもええわ。とか
思ってた。


でも、受験に際して、どうしても、10段階で9 or 10が欲しいので、
先生に相談した。


「たとえば、蹴上がりができたら、成績を付けてくれるか?」
「約束はできねえが、考えてもよい」


蹴上がりというのは、男子のみに設定される鉄棒競技で、
たいへん高度な技と言われていて、(できてみたら、たいしたことねぇ)
当時で、できる人は、全校男子生徒のうち、5%〜8%。



いわば、運動男子のみが、できると設定されている体操競技



ということで、運動が得意で、ギターを教えてもらっていた
大車輪とかできちゃうけど、あとで、鼻血とか出しちゃう、
合田に、中学3年の春から、夏休み開けにかけて、毎日、毎日、
昼休み時間(30分間)、鉄棒で、蹴上がりの特訓をしてもらった。


合田が蹴上がりをやっている動作を、地面から観察したり、
右から観察、左から観察、
上から観察。


なるべくゆっくりやってもらったり、なるべくはやくやってもらったり。


そんで、何回も、どういうイメージかを教えてもらって、
補助をしてもらったりして、
多少の雨の中でも、ほぼ毎日、毎日。


もう、あり得ないくらい、怪我して、あり得ないくらい
手の平のまめ剥けて、
クラスメートとかも、「大丈夫か?」みたいな感じになってて、
「もう、十分じゃんかよ。わかったよ。わかったから」的ムードになった頃に、
軽く、できるようになった。


なんか、すーーーっと、普通に風を切るように、あがった。


青春ドラマとかみたいに、できて泣いて抱き合うとかじゃなくって、
「え。できてみれば、こんな簡単なことなの?あほらし」
みたいな感じで、
先生に「できたよー」って報告に行った時も、
合田とか、先生は、
「すげえな。がんばったな」とか、金八先生みたいな感じで、
感極まってたみたいですが、
わしは、あっけらかんとしてて。


で、
なんか、クラスメートとかも、ギャラリーになって
集まってて、
みんな拍手してくれてたりするんだけど。


こっちは、
「じゃ、先生。成績、よろしくお願いします」みたいな。


クラスメートは、
「この、糞がり勉野郎、最低」みたいな。



でも、その時にも思ったんですが、
できないことを、いいわけするのは、簡単ですが、
じゃ、
努力したんですか?時間をかけたんですか?
とことんまで、やったんですか?


なんか、運動オンチだと、自分で勝手に設定してた自分が
あほらしくなって、そっからは、それなりに運動できるように
なったんですね。


俺勉強できるし、運動なんか、できなくて、別に困らないし。
とか、勝手に、自分で、やんなくてもいい。って設定してただけの話。


って話ですよね。


で、「え、あいつが、蹴上がりできるようになったの?」とか
噂になって、
でも、みんな、昼休み、しつこく練習してるの見て知ってるから、
頭のいいやつで勉強嫌いで、勉強やってこなかったようなやつは、
そっから半年勉強して
それなりの進学校に行ってたよ。


できない理由を御託を、たらたら並べる時間があったら、
できるようになる施策をちゃんとやって、実行すればいいじゃん。


普通の人より、劣るんだったら、時間かければいいじゃん。
金をかければいいじゃん。って話しだよね。


それをやんないで。
「俺は、やんなくていいから」とか「俺は、そんなんじゃないから」とか
どーでもええ、理由を、怒りながら述べても、
回りからみたら、面倒くセーだけだよね。


できるようになってから、来てくださいよ。って話。


今まで、できてないんだから、今までのやり方じゃ無理なわけで、
時間をかけたり、人に教わったり、
普通の人以上に、その物事を観察したり、
やってれば、できる範囲ってのは、自分の設定よりは
広がる。


ってか、自分の能力の範囲は、だいたい、自分で設定してる。


だから、その設定が、緩い場合は、客観的な能力の部分まで、
のりしろが、ある。って話。


で、そういう能力の設定というか、自分の限界値を
ちゃんと知りもしないで、勝手に設定してると、
とても、小さい、小さい人間に、成り果てる。って話だよ。


で、自分の能力の限界値もしらないから、
「俺だって、やればできるんだよ」みたいな、
幼稚園児みたいなことを、酔っぱらって言うから、
もう、面倒なんだよ。



ということで、結局、
学歴社会ってのは、そういう蓋然性の元に、成り立ってるって話に
帰結するってことよ。笑




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