僕らの時代


僕らの時代





オフコースの小田さんが、
たぶん、邪魔な音楽家を唄ったと
勝手に解釈している歌。


http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html


微妙なblogを読んだ。


匠の伝承の話は、
音楽に始った話ではなく、
それは、デジタル化の流れだし、
入れ物とメディアは、うつって行く。そこを生き抜くクリエータもいて、
そういう人たちが、ちゃんと、匠を伝承していけばいい。


入れ物と、ツールが、変更になった程度で、
クリエーションができない人間なんか、それだけの期間のクリエータ
なんだろうなと、思う。


佐久間さんの、嘆きは、
そんなアナログの終焉宣言のようでもあるし、
佐久間さんが、次の時代に乗れなかったということでもある。


古くは、写経の時代から、印刷の時代にも、同じことが起った。


そこでも、匠の伝承は、書道という形で残った。
墓を掘るという形で残った。


むしろ、巻物という入れ物、墓石は燃えないということで、
より、書道を選んだ人たちの作品は、次の時代に残って行った。



映画の世界でも、
佐久間さんと同世代の監督で残っている人は、
アナログテイストをデジタルで表現できる人だし、
セル画は、海外に発注している人たちだ。


日本人にかかせてたら、コストが合わないからだ。


18年ほど前の話だと、
Photoshopperたちの運命だ。


Photoshop 1.0の時代で終わってしまった人は、
結構、大量にいて、
「webと紙を両方できるガキ」を、「中途半端野郎」とさけずみ、
でも、時代は、どんどん、web化していき、
webと紙に対して、別々のクリエータに発注できる会社なんか、
ほとんど、皆無になり、
結局、自分のバカにしていた「webと紙を両方できるガキ」に、
追いつけず、
結果、使えない。
今は、いろんな職業についてるんですね。


植木屋、あんま、道路工事、飲み屋。


デジカメには、アナログのなまめかしさは、出ない。と
言い続ける人もいる。が、その市場は、非常に小さい。


さいころから、レゾリューションの低い、
EOSですべてを演奏する、小室で育っている世代は、
アナログの良さなと、まったく、分解能の外なのである。



なので
ほとんどの人は、アナログのなまめかしさとか、どうでもよいと思っている。



残るのは、マニアック市場と、ノスタルジック市場。

でも、その市場は、あまりにも小さい。


音楽で言うと、せいぜい、江古田のマーキーや、行っても、
立川アミューズホールがいっぱいになる程度。


そのノスタルジック市場として、成り立たせるかは、
それは、本人の問題として、勝手にやればいい。


ただ、
佐久間さんのblogによって、
借金をしてまで、プロデュースをお願いした若いアーティストが
嫌な思いをしてなければいいと思ったわけで。


それを考えていると、
小田さんの歌のように、
「もう、それ以上、そこに、立ち止まらないで、
僕らの時代が、少しずつ今も、動いている
あなたの時代が終わったのではなく、
あなたが僕たちと歩こうとしないだけ」


ってことなんじゃないかと。


加藤和彦さんの自殺の原因は、よーわからんが。
同様の嘆きがあったのかもしれない。



昔と同等の、金をあきらめて、極める方向に、行く。
って決断すればいいのに。って思う。
クリエーションを極めるなら、ユニクロ買って、
吉野家とファミマとのり弁とラーメンで、
食事をすませてる活動家のほうを、支持します。



でないと、自殺or 破産。



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