画期的な会社は、いくつものプロジェクトXがある


画期的な会社は、いくつものプロジェクトXがある


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38460


創始者である、井深さんや盛田さんのご存命の頃は、
こんなおかしなことは、行われていなかっただろうな。と思う部分は
ものすごくあって、退社した何人もの人が口々に語っていることだ。


1999年から、今の結果に進んできてるのだろうなと感じる。


今から考えると、気が狂っているとしか思えないくらいの
仕事時間と、アイデアフラッシュの数々。
私が経験しただけでも、プロジェクトXものだと思えるものが、
複数ある。
全体で考えたら、相当数のプロジェクトXがあったのだ。


絶対無理と思っていたものが、みんなの力で、どんどん出来上がっていく
しくみ。


顧客の調査をしているようにみせかけて、
実は、自分たちが作りたいもの、今ないもの、
将来の自分たちが、あったらすごく楽しいもの。を
作るエネルギーが、たぶん、世界にまれに見るレベルだっただろうと感じる。


なので、いくつも、製品を考えては、検討して、
作っては、成功したり、失敗したり、
急に始めたり、急に撤退したり。


商品を作る担当者が、一番楽しんでた時代だったんだなぁと思う。


NECTOSHIBAのことを、超バカにしながら、コンシューマ向けの感覚で、
女子供が、女子供向けに、必死で、商品を作りあげていく。


そういう、今から考えると信じられない世界が、展開されていた。


あるプロジェクトが解散しても、技術者も、商品企画者も、
社内の別の部署に、みんなばらばらになるが、そこでの技術を吸収しながら、
解散したプロジェクトの類似プロジェクトが発足する際には、
また、かつてのメンバーが結集し、
商品を作りあげていく。


そこには、ドラマ的に言うと、チームドラゴン(笑)に近いイメージのものがあった。


そういった、アイデアマンや、そのアイデアに賛同した技術者が、中心になって
商品をクリエイトする時代から、
ビジネスオリエンンテドな、手法が取り入れられて、
計算がするのが得意な、「まともな人」が事業を引っ張っていくようになってしまって、
そこここに、元々あった、推進力が、どんどん、落ちていったと思われる。


妄想しないで、計算する人ばっかりになったんだろうなって思います。


井深さん、盛田さん直系の人々が、引退してしまった今となっては、
もう、かなり、something elseになっているのだろうなと思います。


第二の立ち上げくらいの勢いが、残っている人達に作れるかと思えば、
厳しそうなので、
というのも、私が欲しいものが、商品化されてなくなって、久しいので。


とりあえず、静観です。残念ですが。w


ちなみに、私が、転職した際のインタビューで語った動機です。
「私は、中学生の頃、父親に、SONY製のLLカセットを買ってもらいました。
今から考えると、15万円(今なら、20万円相当)に相当する商品です。そのおかげで、私は、
国際的に通用する英語力とコミュニケーション能力を得ることができました。
私の人生にとって革命です。私は、この会社で、世界中の人の人生に革命が起きるくらいかけがえのない商品を作ってみたいと思います。」



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